保険幕末、改善か?革新か?「次の一手」はなんだ?!
『保険幕末、改善か?革新か?「次の一手」はなんだ?!』
本日は、弊社代表取締役社長の笠原からメッセージをお送りさせていただきます。
ここ数年の保険業界(特に乗合代理店)の変化は目まぐるしく、未だその変化の渦中にありますね。この大きく時代が変化する時期に私たちはどの様に「次の一手」を打つべきか?
お客様との関係のあり方そのものが見直しを迫られ、非常に困惑する日々をお過ごしの方も多いかと思います。(私もそのひとりです。)
時代に変化が起こっている時は、予測不能で自身(自社)の方向性を決めるのに苦慮します。
私は、この数年の保険業界の激動を見ていて、とても感じることがあるんです。
時代が変化している今、なにか幕末~明治維新にかけての頃の日本と酷似してると感じられませんか?
今回は私の感じるままに、あくまで大いなる私見として、共に激動した時代「幕末~明治維新と昨今の保険業界の変遷」に巻き起こる現象を照合してみたいと思います。(少し長くなります。あくまで私の私見で、つぶやきです。お時間のある時にご笑読ください。)
幕末から明治維新の時代は、たぶんこんな時系列になると思います。
1853年にペリーが黒船で来航して開国を要求して以来、「西洋の衝撃」に対して国防意識の高まりとナショナリズムの勃興によって、徳川幕府は求心力を失い、約260年にも及んだ幕府の国家主権体制は崩壊していきます。台頭する形で薩摩・長州・土佐・肥前などの藩が力をつける一方、尊王攘夷運動も起こり、その後の薩長同盟を経て、1867年の大政奉還に至るまでが14年。
廃藩置県の断行が1872年、
西南戦争終結が1885年、
立憲体制の確立が1889年。
それ以降の日本は大正~昭和の第二次大戦終結まで、天皇を主権とする帝国主義国家として確立していきます。
どこまでを幕末とし、どこからを明治維新とするか?は様々な説があろうかと思いますが、ペリーが黒船で来航以来→明治政府の天皇主権の世が一旦の落ち着きを見せるまで。との視点に立つと黒船来航から約36年の時を経て世の中が安定した。ここまでが幕末~明治維新という見方が出来るかもしれません。
これを我々に保険業界に昨今の現象は、確か2011年に金融当局からの依頼により私たち乗合保険代理店の業界団体との直接会合が実現しました。
(従来では保険会社とだけ、代理店のみと直接面談はなかった。≒黒船来航?!)
既定の概念では起こりえないことが起こったことをきっかけにして、
・適正化により委託型募集人制度の撤廃→雇用化
・体制整備により意向把握・推奨理由の明確かつ証拠化
・特別利益提供の再確認(リーズ等のポイント付与禁止)
・手数料開示要求など ※現在進行形も含めて
大きくビジネスモデルの変革を求められています。(≒開国要求?!)
従来のビジネスモデルが根本から覆された現在において、未だに規制をかい潜る方式をとる一部の潜脱系代理店(≒まだ武士の世が続くと信じてる?!)も存在したり、一方で正しい運用でコスト増に悩む代理店も多い。(開国派?!)
そんな混沌とする保険代理店業界に向けて大手金融機関や商社による保険代理店のM&A(≒薩長同盟?!)が実施され、これを発端に保険代理店のM&Aは、この数年で益々加速する機運にあります。
今の保険業界変化のプロセスを幕末の時期に置き換えると、大政奉還は既に完了し、廃藩置県も強行され、立憲体制も確立しつつあるレベルで、江戸幕府は終わり、明治政府が始まっているけどまだ少し混乱している。といった状況でしょうか。(洋服の散切り頭もいるけど、まだチョンマゲで刀差した剣客もいる)
ここで歴史に学んでみたいポイントは、時代が激変する中を生きた対照的なふたりの人物です。
激動期に彼らのとった思考や行動が私たちの「次の一手」のヒントになるかもしれません。
それは、皆さんご存知の坂本龍馬と、その従兄弟にあたる武市半平太。
一見すると半平太の方が文武に秀でた土佐藩の優等生で、龍馬の方が土佐藩を脱藩(現在で言うニート)した劣等生に見えます。
現代よりも地位や役職、出身地などの「面体」が全ての価値観を支配していた時代ですから、私たちの感覚以上に対照的なふたりだったでしょう。
幕末期におけるふたりは、激動の中、時代を変えるべく、それぞれのフィールドで中心人物として活躍をしました。
そのプロセスを一気に飛ばして、結果どうなったか?にフォーカスしてみましょう。
武市半平太は、安政の大獄で失脚した前藩主・山内容堂の意思を継ぐべく「土佐勤皇党」を結成し、土佐藩が変革後の日本でイニシアチブを取るべく心血を注ぎ様々な活躍をしますが結果としては、「君主に対する不敬行為」を行ったとして、担いだはずの藩主・山内容堂によって切腹させられます。
一方の坂本龍馬は、最初は土佐勤皇党に合流するも後に脱藩。藩にとらわれないフリーランスになり、勝海舟、西郷隆盛、桂小五郎など様々な立場や見識の人間と接し、神戸海軍操練所(勝海舟が後ろ盾)、日本初の商社・亀山社中のちの海援隊(西郷隆盛が後ろ盾)、反目していた薩長の交易を成立後に、薩長同盟を実現し、船中八策を策定から大政奉還にまで至らせました。
土佐では若手の中心人物でリーダーシップも人望もあった優等生の武市半平太と、一介の素浪人で奇抜な言動や出立の坂本龍馬。
このふたりの結果に違いをもたらした「違い」は、「Be(あり方)」にあったのではないでしょうか?当時で言うと「大義」と言うでしょうか、現代だと「理念」と言うかもしれません。
半平太のBe(あり方)は、あくまで「土佐藩のため、藩主・山内容堂のため」です。既定の枠組みの中で発想し行動をしています。(従来はとても正しく、優等生です)
一方の龍馬は、黒船来航を自分の目で見て「日本は完全に西洋列強に劣っている。今のままでは日本はヤバい!」という危機感から、龍馬のBe(あり方)は「日本をよくするため」です。
江戸幕府の構造下の藩という枠組みから離れ、現在の役職や立場がどうであれ、日本をよくするための枠組みで発想すると、それに沿う人か?事か?発想か?という視点でジャッジして行動していたと言えるでしょう。
どちらもとても優秀なふたり。
世に革新を起こそうと心血を注いだふたりですが、「何のために行動したか?」によって後世に残す結果に大きな違いが出ました。
このふたりに学ぶことは、時代が大きく変化するときには、既存の枠組みの中で思考して「改善」するよりも、新たな価値の枠組み(パラダイム)によって「革新」する方がいい。という点だと思えます。
今後の保険業界も、異業種参入や大手によるM&Aがいくつも行われたり、 それに対抗する形での合従連衡が起こったり、すぐ近くにはAIによる更にに大きなビジネスモデルの変革が予測されます。
私たちも過去の成功体験や、組織の大小とか、役職とか、既成の概念とか、既得権益等を一度フラットにして、どんな「Be(あり方)」によって「次の一手」を決めるのか?が激変期においては大切なことだと思えます。
チョンマゲの時代は既に終わりました。
どうあれば日本という国や社会にとって私たち保険人が役に立つのか?
新しい枠組みや価値観にフィットする「Be(あり方)」を共に考え、アクションを起こしませんか?
日本をよくしたい。日本を元気にする私たち(保険業界)でありたい。「保険業界を今一度洗濯いたし申し候」皆さんとともに!
長文にお付き合い頂きありがとうございました。
株式会社エルティヴィー
代表取締役社長 笠原慎也
この記事の情報発信者
○顧客情報活用システムCSBの運営 ○講演会、セミナーの企画・開催 ○Webを活用したマーケティングコンサルティング ○各種セールスプロモーション支援 ○教育研修事業